第9回

今日は晴れたが雨上がりなので風が強い 昼の散歩は向かい風になった ヌートリアは一匹見つけた

最近続けて寝れてるので何が良いのか忘れない様に書いておこう

 

まず、基本の事は必ずやるとして今回は学んで実戦していくことをまとめる事にする

 

睡眠にはリズムがあり それを理解する事からしていこう

人間には睡眠周期があり 

ノンレム睡眠60から80分、レム睡眠10から30分 

それが1セット90分で4から5回繰り返し 睡眠時間6から8時間を作っている 

 

眠りはノンレム睡眠の深い眠りから始まる これは知的労働 すなわち頭を使う事で促進される

それに対してレム睡眠は肉体を使う事に関係してる

 

このリズムが崩れれば不眠症になる

人は寝てる間に脳や肉体を回復させているが 回復させる順番もある

はじめに脳、心臓 次に他の臓器 そして筋肉、皮膚、髪の毛、爪、、命に関わるところからやっている

だから中途覚醒した時 どれだけ寝むれたかを意識すると良い

例えば4から4時間半の短い睡眠でも脳の回復ができたから目が覚めたことなる

何時に寝て何時に起きたかを覚えておくことがよい

そして基本的に肉体も精神も疲れていなければ眠れない

だからきちんと脳も肉体もしっかり使う事を心がけよう

 

もちろん やってはいけない事もある

珈琲を飲む 

ストレスがかかった状態にある 

ブルーライトの影響があるスマホ、パソコンの使用

神経を高ぶらせるゲームをする

夜遅くまで起きている

自立神経失調症の状態にある

これらをやったりしていると夜間低血糖症になり副腎を強制労働させてしまうので眠れなくなってしまうのだ

 

気を抜いたらやってしまうことばかりなので 気を引き締めていきたい

 

 

第8回

今日は朝から雨降りだ

昨日は末っ子の21歳の誕生日だった 年末から彼氏の家に行って我が家にはいないので 久しぶりの会食になった 一番下の子はいくつになっても子供扱いしてしまう 無条件でかわいい

それなのに この病気のせいで 素直に喜べないのが残念だ 

人に会う事に身構えてしまう 臭いが怖い 世間では匂いなんだろうが、、、

彼女なりに気を使ってくれているが 離れててる期間があると余計に匂いがきつく感じる 

若い子だから化粧もヘアオイルもしたいのはよく分かる それに他の家の洗剤の臭いだってしょうがない

どちらも悪く無いのに 距離をすごく感じるのがすっごく寂しい

これから本当にどうなるのだろうか、、、

体調が悪い時は今の生活を 仕事してなくても身体を治す期間だからと自分を責めないでいられるけど

体調が良い日が続くと できなくなった事に囚われて 出来る事を見つけ出せない葛藤の中の自分がとても価値の無い人間と感じ 消えて無くなってしまいたい感情になる

「好きだった事全てができなくなってしまうのならば なんのために、何を楽しみに生きていけばいいんだろう、生きている意味があるんだろうか」 と嘆き悲しんでいた時 静かに息子が 「それでもお母さんには生きてて欲しい 全てを理解はできないけど 寄り添っているから」 と呟いた

昨日は「やっぱりこの病気は治らないから励みが無いね」 と捨て台詞を投げたら

「治ると信じて生きていかないとやってられないよ」 と受け止めてくれた

何気ない息子の言葉が心に響く、、、前を向いて歩いて行こう

 

今日は何ができたのだろうか

昨日は無理して疲れたから大人しくしていた それも大事と受け入れれる そんな私はきっと成長している

 

きっと治ると信じて、、、 治ったらしてみたいのは何だろう、、、

 

色々な事を気にせずに旅行に行きたい 

海の中で癒やされるダイビングをまたしたい 

大好きだったユニバに飽きるまでいたい

線香の臭いを気にせずにお寺巡りをしたい

色々な泉質の違いを感じながら温泉めぐりもまたしたい、、、

飛行機だって電車だってバスだって乗りたいし 車も保育園バスも もう一度運転したい

娘の家に遊びに行きたいし 孫も抱きしめたい

何も気にせずに外に出たい 買い物したいし友達と遊びたい

保育参観とか結婚式だとかお葬式とか 普通の人が簡単に出来る事をしたい

もう一度 人の役に立つ仕事もしたい

でも一番したいのは 息子ともう一度絶対行こうと約束したイタリア旅行に行きたい 前回は初めての海外旅行でよく分からない貧乏旅行だったけど 大変良い思い出になった 今度は僕が連れて行くと言ってくれたね

シチリア島に行って時計を買ってこよう

 

明日から家も身体も心も断捨離して良いものを取り入れていこう

 

 

 

 

 

 

 

 

第7回

今日は子供が小さい時からのお友達と久しぶりにランチした

私のストレス解消法の一つだ

大人になってからの友人は利害関係とかがあって難しいと言われるが 有り難い事にずっと寄り添ってくれている一人だ

「こんなに状態になってみたら人間の本性が見えた」と先日書いてみたが 本当にその通りだと思う

私の場合は 主人のお葬式の時に分かった 頼んでもいないのに三人のそれぞれ別の友人が仕事を二日も休んで受付を手伝ってくれた そしてさり気なく帰って行った

その後きちんとお礼をしたのだろうか また今回もさり気なく助けてもらっている

三人それぞれ思いのままに、、、 特に何をするわけでもなく だだ寄り添ってくれている それが本当に有り難い 恩着せがましいわけでもない、ただ寄り添う これが本当の親切だと思うし大変難しい事だとも思う

そして私の話にいつも真剣に耳を傾けてくれている、、、

 

こんな事がより身にしみるのは 今日私が作ったサークルを退室し孤独をより感じているからに違いない

色々がんばって何年もかけて作って継続してきたのに 残る人達はただの居心地いいサークルとしか捉えていない 少し厄介なスポーツだから新しいサークルを作るのも続けるのも大変だった 

でもみんなのストレス解消の場になればと思いがんばって続けてきた 

でも私がいなくなっらすぐ次に引き継いだ人になびけばよい そうすれば居心地いい所がいとも簡単に手に入るのだから 用無しはお払い箱というわけだ

だから退室ラインを流しても、もう過去の人で労いの言葉も何も必要ない 次の人に必死についていかなければ居心地いい所が消えて無くなるから、、、 身体が悪くなってからも毎月みんなのためにと体育館に足を運んだのに、、、

本当は体育館になんて入れないから他の人に変わって欲しかったのに誰も手を差し伸べてくれず おいしいところだけとっていく 面倒な事はやれる人が勝手にすればいい 

人間なんて多かれ少なかれだいたいそんなもんだろう

そんな事最初からわかってたことだ そんな事はもうどうでもいい 嫌な事も今日で全て終わりだから、、、

 

悪い事も体験すると有り難い事が鮮明に浮き上がるので幸せをそれ以上に感じさせてもらえる

これからは多くの知り合いよりも大切にしたい人と密な時間を過ごしていきたい

はっきり分かったから今日は大きな収穫があった日になった

私の人生こんな事に時間を取られほどそんなに長くないはずだ 

明るく前向いて歩いて行こう、、、

第6回

今日は朝から雨降りだ 東京の方は雪になるみたいだから大変だ 

田舎に移住する計画を立ててるけど 雪が多い所は勘弁して欲しい 今住んでいる所は都会では無いけど空気は汚染されてる気がする 最近思うけど、もしかしてここに住んでからより体調が悪くなった気がする 高速道路が近いから排気ガスも沢山吸うことになったし、高層マンション購入したのでそれも今思えばよくない条件になってしまった要因なのかもしれない

当時はなんにも知識がなく母親に急かされる勢いで買ってしまった 口だけ出してお金は出さない人だから もっと慎重に色々決めれば良かったはずだ でも、早く逃げたいのと認められたかったのかもしれない 結局最期まで私の幸せは望んではいなかった人だったと思う

こういう生活環境が副腎疲労 最終的には科学物質過敏性にも悪影響を与えるらしい

「どんな親でも自分の子の幸せを願わない人はいない」と ずっと言われてきてた どんな理不尽な事も「あなたのためだ」とか、、、子供心にも いや違うのではと感じていたが そう思う私がおかしいのだと封印してきてた

先日 先生と遠隔アドバイスの時 「そういう人は沢山いる そういう人が重症になっていく」と教えられた

可能なら縁を切るか関わることをしないのが良いと言ってた 最近の動画でもそれに関連してるのが沢山取り上げられているので非常に参考になるが 正直観ることに少し抵抗があるのも事実だ

でも 私の場合 もうこの世に母はいないし 彼女は若い時から原因不明の病気をしてたから まともに会話した事がないのかもしれない 子供の頃は母の機嫌が悪くならない様に一字一句に気を配り 大人になってからも彼女中心の生活いわゆる接待だった 自分は身体が特別で大変だけど 私の病気は認めない 「気合が足りない気のせいだ」と軽くあしらわれてた それだからなのか私は痛みとかダルさとかよくわからない いつも「そんなぐらいで大袈裟な」と言われてたのでみんなこれぐらいは大丈夫なんだろうと思ってたら腹膜炎をおこしてて緊急手術になってしまったこともあった

大人になったらわかるだろうと考えるけど こういう感覚は小さい時から徐々に体感して覚えていく事だと思う 

サイレントベビーと同じではないのか 

そしてとうとう何度目かの入院で完璧に障害者になってしまった 右脳のダメージなので性格は穏やかになった でも会話の途中で分からなくなって泣く彼女に何も言えない みんなに酷い事してきた事も何もかも忘れて愛する旦那さんと過ごせたから彼女は幸せだったのかもしれない 

私は大人になって色々経験したから 今は彼女に感情はない

彼女も被害者だったと思う きっと母親に愛されたかったんだろう 自分がどんなに母親に大切にされなくても尽くすのが子の定めだと信じていたに違いない だから私にも同じ事をし同じ事を望んだのだろう

それが親子の絆と信じて、、、

 

書いてみると色々出てくる 先生が言っていた親からの呪縛を解いていける気がしてきた

 

呪縛を解く一步として言わせて下さい

お母さん、ごめんなさい どうしてもあなたのお葬式に行けませんでした

私の旦那さんの葬儀のことで揉めてやっぱり許す事はできませんでした 

あなた方はいつも私を助けてくれませんでしたね それはもうどうでもいいです

私は葬儀に行かなかった事は後悔してません 

あなたが寂しがった事は認めますが もう解放して下さい

お互い次の世では幸せになれますように、、、

 

第5回

今日もよく眠れた ここ数日快適だ

先生はよく 人間は寝て治る生き物だ と言っている 

それができなくなってきたらおしまいだ とも言っている

人間は快適を求めすぎて 本来の生き方、身体のシステムも忘れてしまったのかもしれない

ならば 少しばかりの抵抗で 私は身体が良くなっていく過程と何をしてきたかを書きとめて この病気、科学物質過敏性と向きあって共存していこうと思う 

本当は これで治りました なんて言えたらいいのだけど 今はどの資料を見ても完治は難しいとしか書かれていない

難病にも指定されていないし、治療法は科学物質を避ける事のみだと、、、

先生が言う 寝て治る身体に戻れば少しは望みがあるのかもしれない 

まあ やらなくてはいけない事は他にも沢山あるのだけど どうせ何もしなければどんどん悪くなっていくのは体感済み、経験済みだから 行動あるのみのはずだ

 

今日は睡眠で気付いたこと書いていこうと思う

私は今までぐっすり眠れた記憶がそんなに無い 思い出せるのは数回程度だ

能登に仕事で泊まりに行ったその夜 激しい雨と雷だったが 全く知らずに朝まで寝てたのと、初めての帝王切開の前夜 睡眠薬飲んで朝まで起きなかったのと、まだ旦那が元気だった時ぐらいだ

 

子供ができてからはもちろん 小さな物音や子供の動きで目を覚ましていた 母親ならみんなそんな感じだと思う 

数年前、もう10年に届きそうだが 旦那が末期癌の告知を受け 闘病生活、死、一家の大黒柱としての生活、、、

まともに寝た事がなかった 寝ても数時間で目を覚まし 寝たいからすごく疲れるためスポーツをしたり、沢山お酒を飲んだり、、、少し眠れても次は駄目だからどんどん量が増えていった どんなに疲れても全然無駄だった

 

それならなぜ今スムーズに眠れるのかと 自分なりに分析すると考え方を変えた事も大きいと思うが 食生活と日課も大きい要素だと思う

朝起きて口をゆすいでその後うがいし 塩とお水をとって 蜂蜜をなめて 家中の窓を開けて換気し 息子を見送りがてら散歩して 帰宅後、ご飯 具沢山の味噌汁 卵焼きをゆっくり沢山かみながら食事し 天気が良ければ散歩にもう一度出かけ 午後に頭を使う事をする もちろん食事は三食きちんと食べる 腹六分目にして食後の果物も忘れない あと首と腰のセルフケアもやる ストレッチもしてちゃんとじぶんを労る

そして適度に塩とお水を補給を忘れずに 糖質補給もこまめにする

本当にこれだけで変わる 人生が変わると言っても過言ではないと思う

 

でも 人はすぐ良くなると忘れる生き物だ 喉元過ぎれば熱さ忘れるとはよく言ったものだ

だから私は書いておく さぼれば元に戻るのではなく 取り返しのつかないところまでいってしまうことを知っているから

 

今晩もぐっすり眠れますように

第4回

天気が良ければ散歩に出かける お気に入りは近くの堤防一周一時間コース 土手にいるヌートリアを数えるのを日課にしてる 散歩は本当に素晴らしい 勿論、体力作り ストレス解消にもなるが なんといっても頭の中のモヤモヤを整理できる最高の時間だ

モヤモヤのなかには 過去の良い出来事、悪い忘れてしまっていた出来事、悔しかった事、楽しかった事、これからしたかった事、もうできない事、、、数え切れない沢山のあれこれ

思い浮かべれば 生きてきたんだと思い これからも生きていくんだと改めて思い返す

 

今朝もよく眠れたので身体が軽い やってる事は塩をとり、こまめに水を飲み、朝昼夕の三食を ご飯、具だくさんの味噌汁、タンパク質のおかず、食後の果物を食べて 散歩してるぐらい

でも、やめた事のほうが多いはずだ

あんなにもザルと言われてたアルコールも五月から全く飲んでいない むしろ必要無い 本当はアルコールが好きじゃなくて ストレスから逃げたいのと何かから逃げたい気持ちで飲んでただけかもしれない

小麦、牛乳も取らない様にした 小麦は難しかった これには麻薬と同じ快楽中枢に刺激するらしく 脳が欲するので厄介極まりないものだ おまけに腸の粘膜にも悪さをするらしくアレルギーにも深く関係があるから大変だ なのに頭でわかっても欲しくなってしまう 今は一人の時は全く食べず家族や友達といる時ぐらいになった 一週間に一回ぐらい食べてる事になる

お菓子もやめた 前は食事代わりにたべていた 悪気習慣だった

調味料も安いのはやめて きちんと原材料を確認して購入するようになった

シャンプーは固形のものにして 白髪染めはヘナを自分で染める様にした ヘアオイルもやめた

化粧品もやめて 洗顔牛乳石鹸、化粧水は自分で作ったドクダミ化粧水 クリームは以前病院でもらったヘパリン類似物質とワセリンを使ってる

あと 人間関係もスッキリさせた これも一筋縄ではいかなかったが 今こうしてみるといらない関係、依存されていた関係が多かったかもしれない 何もできなくなって恩恵に預かれないと見込んだとたん あんなにも頼ってたくせに手のひら返す様に連絡も入れてこない そしてそういう人はすぐ次のターゲットを見つける

だから自分の事を大切にしょうと思った

かと言って全てがそんな人ばかりではなかった 会って話が出来るように配慮してくれたり そんな事ぐらいでは友達やめないと励ましてくれる友達もいてくれた 有り難い 感謝しかない

 

断捨離もそうだけど 捨てなければ良いものは入ってこないと思う

身体も心も人間関係も、、、

ちゃんと前を向いて歩いて行ける様にこれからも散歩しながらモヤモヤと向きあっていきたい

第3回

今日はほんとによく眠れた ぐっすり眠れたから身体も引しまった感じがする

なんでなんだろう?よく寝れた時はお腹のあたりがスッキリしている

 

5月から遠隔アドバイスの先生を始める事にして 生活が激変した 先生の言うことは基本的な事ばかりだった その普通の事、基本が全く蔑ろにしてた きっと人間として失格なんだろう、、、でも どれほどの人ができてるのか

本当に嫌な世の中になってしまったものだ この流れに乗れない人が病気になっていくのか、、、

 

まず 三食和食を腹八分目たべる、天然の本物の塩をとる、水をきちんと飲む、お菓子 ジュース インスタント食品をやめる 質の良い糖質をとる 食べる時はしっかり咀嚼する 筋トレ運動を適度に行う

 

今までの生活というと 子供達を育ててた時は お金も時間もなかってたから安くてお腹がふくれる事ばかり気にしてた 中国産でも抵抗ありながら使っていた 白砂糖も、電子レンジも、惣菜も、添加物いっぱいのものも、、、

お酒だって飲みたいわけでもないのにストレス解消とばかりと飲んだくれてた

 

こんな事してたから病気になったのはわかるが みんなだって似た様な事してるし、みんなより多く身体に良い事 運動だっていっぱいがんばってたつもりだ

だから この症状は特別なハズレくじだと思った

でも先生の動画でいっぱい学んで色々違う事に気づいてきた 若い時に聞いた事ある事もあるけど、その時は話す相手が商品を売りたいばかりの脅しだと思ってた 内容はためになるけど仲間にはしないでねっといった感じだった

それとは違って 先生は身体のシステムから色々わかりやすく説明してくれるので 内容がすんなり頭の中に落とし込めて 自分自身で理解し納得できたので行動することができた

といっても 最初は科学物質過敏性の事しか興味無かった 私は他の病気は違う関係ない、科学物質過敏性を早く治したいと強く思っていた

それが、ストレスから副腎疲労になって それがずっと続くと慢性疲労症候群になり低血糖症状、甲状腺機能低下をともなって科学物質過敏性を発症してしまうという方式を理解するためには相当時間と勉強が必要だった

だから 根本を改善しなければ 表面だけ一時的良くなる事があっても すぐ元に戻ってしまうを肝に命じて頑張るしかないはずだ

 

こんなに大変な戦いだけど 洗剤やめて少し頭使う事増やしただけなのに 素晴らしい睡眠ができるなら まだまだ希望が持てそうだ

明日も頑張ろう