第23回

また一人の生活だ 娘は彼氏の家に行ってしまったし、息子は飲み会でお泊りだからだ

一人だと誘惑は無い 

人がいると折角だからと何か用意してしまう 決まってその時は脳が喜ぶ甘い誘惑的な食べ物を用意してしまう そしてその時「私はいらないから気にせず食べて」が通用しないのだ きっと食べる側も罪悪感にさいなまれるから「一緒に食べて いつも我慢しているから今日ぐらいはいいでしょう」となってしまう そうなると私は折れてしまう いざこざを起こしたくないから、、、

 

こういうことが無いので毎日寂しいが身体は快適だ

 

そういえば車にも乗っていないのでそれもいいのかもしれない 車の内、外装にも身体に悪い物質が使用されているから本当は使用しない方が良いに決まっている

私はずっとペーパードライバーだったが子供の送迎で仕方なく運転する様になった それでも主人がいた時はおまかせばかりだった 家族旅行によく出かけたが移動手段は迷わず車だった 東海地方から九州とか日光とか出雲なんかでも車で出かけた

主人が末期癌と言われて家族の思い出作りで行ったディズニーやユニバ、勝浦ぐらいから少しずつ代わったりしたが主人程上手くもなく自信も無かった 主人がいなくなったらもう家族旅行も出来ないと子供達に申し訳無いと思っていた

しかし 環境は人も変えるものだ その後中型免許を取得して保育園バスまで運転出来る様になったのだ ただ、主人のお願いのひとつに「車での仕事はしない」があったので喜んで仕事していたわけではない

プライベートでは子供達と 主人がいた時と変わりなく車で出雲や九州、南紀へ出かけた もちろん交通手段は車で運転は私だった その時には運転が大好きになっていた どこまでも行ける気がして逆にストレス解消になっていたぐらいだった

それなのに、、、車は人体に危険を及ぼす物が使われてるのだ そして私はダイレクトに食らってしまう 今までストレス解消のひとつにドライブがあったのに、、、

ドライブして温泉に入ってビール飲んでみんなと語って、、、私には出来ないことになってしまった、、、

確かに最近は運転後に体調を崩したり肝臓も痛かったりする ガソリンの臭いは全然駄目なので問題外だ

私よりもっと症状が酷い人は車なんて考えないんだろう 

そう外出する事が困難なはずだから 

私は中途半端に元気だったりするから以前との生活と比べてあれも出来ないこれも出来ないなんて口にしてしまうんだろう

場所を選べば外出出来る 散歩だって行ける

 

そういえば今日 散歩してたら優しそうなおばあちゃんが「すごいね、シャキシャキ歩いてて いいね、すごいね」って褒めてくれた

何年ぶりだろう 人に褒められるのなんて やっぱり嬉しかった こんなポンコツな私を見て褒めてくれる人がいる 有り難い

明日からもしなくちゃいけない散歩じゃなくシャキシャキ楽しい散歩にしていきたい

おばあちゃん、ありがとうね

第22回

昨晩はほとんど寝ていない だから朝から身体が本調子ではない 

前ならそれでも体力が落ちるのが怖いから無理して身体を動かそうとしていた 

有酸素運動出来なくても散歩には出かけていた

今日はやめた エネルギーがガタ落ちの時にすることじゃ無いからだ

今までどうして自分を追い込んでしまっていたのだろう

 

大人になって子供達の新体操の先生に「無理しても身体を動かすと良い」と私も指導してもらってそれを信じていたからだと思う 運動の最初は本当に身体がキツく他の大人はすぐやめてしまったけど 頑張ってついていったら半年後位から あんなに酷かった生理痛もすっかり無くなり身体も快適になった これが成功体験というヤツか、、、

 

二十歳位から子宮内膜を患い 左の卵巣にチョコレート膿疱ができて破裂し開腹手術になってしまった

ちょうど結婚の許しをもらってすぐだったので色々大変だった

高校を出てすぐバスガイドとして5年働いてその5年目の年の出来事だった ずっと腰が痛くてしばらく休もうと相談していた矢先の出来事だった 

バスガイドはバスに揺られるからとかで婦人科系疾患を悪くして仕事を辞める人が多かったから生理痛もそんなもんなんだろうと思っていた あと時間が不規則なのでスッゴク老けると言われてもいた

今ならストレスからくる諸々の症状だと分かるが、、、

みんながそうだからそんなに深刻に考えていなかった みんながそうの様に、、、 

 

でも今の女性は生理痛が酷い方が多いがそれは異常だと早く気付いた方が良いと先生が言っていた 

そう痛いんだから病気なんだと、、、

 

私はその時から運動すれば身体が整うと間違った認識をしてしまって 栄養面とか休む方法とかは無視して過ごしてしまっていた

私にとって画期的な体験だったからだ

それぐらい運動すれば楽になるという呪縛に囚われてしまった

私の場合ひと月の半分以下しか楽な日が無かった 生理痛はもちろんのこと、生理前、排卵痛も大変だった

生理期間も早すぎで23日周期で生理が終わるのは10日以上もかかっていた 量も酷くて昼間もナイト用をつけ2時間も持たなかった それなのに「沢山血が出たら痩せれるわ」なんて考えていた 

タイムマシーンに乗ってかつての自分にお説教しに行きたいぐらいだ

 

病院では 子供を作るか閉経すれば良くなると言われていた 

生理がない期間が続けば病巣が段々小さくなっていくらしい 

当時は病名が出てきたぐらいで完治は無いと言われていた その時あった全て 薬、ホルモンの点鼻薬、ピル、、試したが検査すると高い数値が毎回出て落胆した 子供も3人作ったのに駄目だった事になる

最後にピルだったが全く身体に合わなくてすぐやめてしまった

そんな時に新体操の先生の指導を受けすっかり元気になったから運動の虜になってしまったのだ

決して運動が全て悪い訳が無い 運動はした方が良いが時期とやり方を考えなくてはいけないのだ

 

きっと私には課題が2つある

1つ目は遠隔アドバイスの先生の元 段階を踏んで身体を戻すこと 

そのために今までの考えを変えなくてはいけない 

エネルギーがちゃんと作れる身体につくり変えてエネルギーを貯めれる様になること

無理をしない 段階を踏む 「今度は無い」という考えを捨てる メンタルを強くする

2つ目は娘に伝えること

これは難問だと思う かつての私がそうだった様に聞く耳を持っていないと思う 身内からのちょっと厄介な話なんて聞かないだろう

でも諦めないで 彼女から聞いて来た時にきちんと解りやすく話せる様に日々動画を見たりしてもっと知識を深めておこうと思う

 

今日はお休みの日 また明日から頑張ろう

 

 

第21回

日曜日から一番下の娘が帰って来ている 

彼氏ができて、今大学が休みなのとバイト先が彼氏の家から近いので年末から入り浸りだ 

寂しくも感じるけど、大切な人ができて良かったと思っている

でもやっぱりいてくれると嬉しい

もうすぐこちらでのバイトが終わるのでご飯作って待っている

本当はちゃんとした食事を教えるべきだけど たまにしか会えないと彼女の好きなアイスとかお菓子を用意してしまう そしていけない事と分かっていても喜ぶ顔見たさで買ってきて一緒に食べてしまう 

同じ空間にいて断ると相手も食べづらい雰囲気になるのが私は嫌だ 

面白くなく感じるだろうし、もう誘うのも躊躇してしまうだろうと思うからだ 

実際これに近い事を言われて困った事もあったし悲しく落ち込んだし 正直怒りもあった 

「どこに誘っていいのかわからんし、こっちがスッゴク気を使うわ」と、、、

 

でも こういうこと 人からの誘い、誘惑が全て悪い事なのだ 治りにくくなってしまう根源なのだ

まず自分は今治療中と自覚しないといけない 私は完全に誤解していた

前よりは全然食べていないなら良いと思っていた 

だから今自ら食べたいわけじゃないのにコミニュケーションとばかりに家族ととか友達となら食べていた 

そう回数減らしているから大丈夫なんて勝手に解釈していた 

本当は心の奥底にはそういう時は食べれるからと我慢できてただけかもしれない

でもなかなか言えない事だ 私は、、、

 

でもお酒に関しては違った

あんなにも酒豪で通ってた私が酒を飲まないと決めた日からお酒に関しては誘ってくる人はいなかった いや、一人いたけど友人が止めてくれた そうお酒は世の中的にも身体に悪いイメージがあるから受け入れやすいのだろう

一緒に飲むのが楽しかったとか面白かったとか残念がられたけどそれはしょうがない 

それに私自身が欲しくなくなったからもうこれからも飲まないだろうと思う 

ストレスって本当に怖い ストレスが無くなったらお酒も欲しくなくなった、全く 

途中そんなに飲みたく無い日も習慣みたいに飲んでいた みんながしてるから安心、そんな気がしていたかもしれない

 

問題は他のものだ

お菓子、ジュース、インスタント食品、小麦、珈琲、、、

これらのものは人と会ったりイベントがあると必ず付いて回るものだ 

今治療中だから食べない飲まないと言えば良い話なんだとは思う 

でもやっぱりそういうものが無くなると付き合い方も変わる それが怖いのだろう

食べれない人の前で食べるのは誰でも気がひける事だと思う だから誘わなくなる

それが一番嫌なんだと思う

この試練に勝たなければ次には進めないらしい 同じ所でグルグル回っている人生は嫌だ

今日から伝えてみよう 案外心配し過ぎなことなのかもしれない

意志を強く持ってメンタルを鍛えて次のステージに進みたい

今の状態がずっとではないはずだから 段階を踏んで上がって行けばみんなと同じ事もできる日も来るはずだから

 

とりあえずこんな病気にならないことが重要だ

娘には少しずつ伝えてみよう、、、

第20回

今日は天気が良いが風が強い 干していた布団も何度も飛ばされていたぐらい 今夜も太陽の恵みを感じて寝てくれるだろうか、、、

息子が心配だ もういい大人だからほかっておけばいいのだろうが そうもいかない

今日で14連勤で休まないから来週の日曜日まで21連勤確定だ まして毎日帰宅は深夜だ 帰ってくればいいが何日かは疲れ過ぎて車の中で寝ていたりする 迎えに行かないと帰って来ない

3年前に退職して急いで次の職を決め 畑違いの職場での再出発になった

大学出ての職場は家族の責任を背負って決めた感じがした 安定とか、、やっぱり責任だろう、、

二十歳前にこれから大黒柱になることを自覚するために喪主を努めたのが大きな要因かもしれない 世間的には誇れる職業だと思うが 彼には合わないと家族全員一致で思っていた なんとか頑張って3年は努めたが正月開けに突然涙が止まらなくなって過呼吸になり職場の方に付き添われて帰ってきた そう、その時は寮生活だったので帰ってきたのだ 後から思い起こせばクリスマスもお正月も時間を作って帰ってきていた

今回は家にいて毎日顔を見ているので色々目につくし なんとか手助けしたいと思っている

3年前は ちょうどその時私は原因不明の湿疹と倦怠感で病院通いをし 仕事を休んでいた時期と被る

なかなか休ませてくれない職場だったが 流石に酷い状態なのでしばらくは、、との約束で休むことができた

私は復帰不可と思っていたのに それは許されない感じだった

結局 病院の指導は3月にパッチテストをする事が決まりそれまで放置だった

 

診察するたびに色々な飲み薬と塗り薬を毎回大量に渡されて家で大人しくしている様にとの指導だった 塗り薬は見た目は酷い湿疹の割に全然痒く無かったので塗らなかった 飲み薬はきちんと飲んだ しかし一向に良くならず逆に後から後から湿疹がわいて出てきていた 

ある日それ以上にヤバそうな形のデキモノが出て 麻酔してそれも検査に出した でも結局血液検査も細胞検査も異常なしで 先生は「症状が出ているのに全て正常な事が逆に気持ち悪い」と言われてしまった それで検査に異常が無いと薬も出せないし、3月にパッチテストするので薬を辞めましょう になった そしたらしばらくしてきれいに湿疹はなくなった

薬をやめたらなくなったのだ

3月のパッチテストの結果もウヤムヤにされた 私が出たのは

 

フラジオマイシン硫酸塩⇒点眼薬、貼付剤、外用薬

金チオ硫酸ナトリウム⇒ピアス、金箔、歯科金属、抗リウマチ薬

イソチアゾリノンミックス⇒防腐剤 化粧品、シャンプー、リンス、ウエットティッシュ、冷感タオル等

ウルシオール⇒漆、マンゴー、カシューナッツ、ピスタチオ

香料⇒全ての香料 人工、自然両方

 

上の様に診断されたが治療法も薬も何も言われなかった ちょうどコロナで病院がバタバタしてる時期だったので「アレルギー反応起こすものを避けて生活して何かあったら病院へ」 みたいな感じになってしまった

自分の解釈で考えると薬に反応する身体だからあんな事が起こっていたと思う

だから薬を飲むのが怖い 今飲めるのは歯の治療の時のんだロキソニンぐらいだ

そういえば代理になった先生が

「病院にかかる時、必ずフラジオマイシンと言う事を忘れては駄目だよ どんな町医者でも分かるはずだから 知らんかったら医者辞めないかん話、フラジオマイシン忘れずに」と教えてくれた

久しぶりに文字にして見るとこんなにアレルギー反応ある物があるんだとびっくりした これはパッチテストだけだから他に食べ物のアレルギーを合わせると大変な数になる

目からの刺激で改めてしっかり生活していこうと確認できた、、、

 

 

息子よ

今日は夕飯までには帰って来るのかな?こんな生活続けていたらお母さんみたいになってしまうよ

あなたはまだこれから恋愛したり結婚したり、、そうじゃなくてもバイクで出かけたり友達と旅行したり、田舎暮らしもしたいんじゃあなかったっけ

無理しないで あなた自身が一番大切だということを忘れないで

いつでも助けにいくよ ひとりじゃないよ

十分頑張ってるよ 頑張ったよ お父さんの代わりはもういいよ、ありがとうね

もう少しお母さんの子供でいいんだよ

第19回

月に一回の遠隔アドバイスがあった 前回より随分良くなってるから良い報告が出来ると思ってたが、、、

全然駄目だった 

先日書いたみんなと一緒の考えだという事に気付かされた

「みんな自分は大丈夫、そんなに悪くはないと思ってるけど それは違うんだよ」

なんて生意気な事を書いのにその言葉は今すっごく恥ずかしい

そんな私も同じ考えだったのだ

三大悪魔食べては駄目 珈琲も駄目 食事の必要性、、、

色々学んで知っているのに分かっているのに これ位ならとか付き合いだからとか、、、やっていた

違う そんな事は本当に悪い人がすることで私はまだ大丈夫、なんて高みの見物を決め込んでいただけだった

決して食べたいわけだけじゃないやめれている ただ「私だってみんなと同じだもん」 が欲しかっただけ、、、

いや心の奥底には 「この病気は治らないから どうせもうすぐ何もかも出来なくなるから出来るうち」に、、なんて思いが強かったと思う 恐かった、嫌だった 苦しい時はもう次は無いんだといつも考えていた

 

先生は「段階があるから 全部駄目だと言ってないんだよ」と言っていた

私はせっかくエネルギー作れる様になってきてるのに 貯める事もせずに全て使いまくっている状態なんだと言っていた

他の人より回復が早いから なんとかできてるから無駄遣いをしている

他の人は回復力が小さくても無駄遣いできる体力もないから結果エネルギーは少しずつでも溜まっているらしい

私の場合はお金持ちの社長さんがなんの節税対策もしないから税金をたくさん取られている状態なんだそうだ

なんと解りやすい例えなんだろう すっと頭に入ってきた

 

そうだ 思い出さないと

「ストレス」⇒「副腎疲労」⇒「副腎疲労症候群」⇒「低血糖症状」「甲状腺機能低下症」そして

枝分かれして「科学物質過敏性」 になるということを

だから 私がみんなと同じ、そんなに悪くない なんてことがあるはずがないということを

途中で止める事が出来なかった私だからこんな事になってしまっているという現状を認識しないと

少しばかり良くなったとしても まだまだ他の病気が付いて回るんだと

 

今はっきり分かった事がある

それは何が一番悪いかということだ 

これを言ったらきっと先生は「なんで俺を選んだの、そんな考えなら俺じゃなくてもよくない?全国、いや世界中で俺を必要としてる人は沢山いる その人達に時間を使いたい」と言うに違いない

 

それは「何をやってもこの病気は無駄、完治なんてあるはずがない」 という思いそのものだ

そう 私は治るなんて思っていないんだ 

少し良くなれば、これ以上早く悪くならなければ、、としか考えていないんだ

だから 毎日もう何も出来なくなるんじゃないかと不安にかられ 出来るうちに今のうちにと付き合いとか色々無理を通り越してやってしまおうとしていた

じゃあなんでお金も時間も費やしてしているの?なんのため?

まして先生にも大変失礼な話だ 

いくらあちらは商売だとしてもちゃんと時間と労力を使って対応してくれている

それに良くなっている事を数えたら両手あっても足りない位だ

 

信じてみよう そしてこれからは自分の解釈ではなく先生のことばを信じて、、、

私が悪いのは百も承知だ

私のメンタルが弱すぎるのも知っている

でもやるなら真剣に取り組まないと先生にも私にも失礼だと気付いた

今日はちょっと落ち込んで今から新たに真剣に取り組んでいこう

 

ここに宣言します

先生がもういいよと言うまで 駄目と言われてるものを口にしません

珈琲、アルコール、三大悪魔

人との付き合い方も考えます

 

第18回

今日は久しぶりに友達と会った 

会うイコール外食、すなわち三大悪魔を食べるということだ

待ち合わせ場所は喫茶店なので この地方の名物?モーニングになる と言うことは三大悪魔の「おやつ」「ジュース」「インスタント食品」を食べるということだ

だから朝、三大天使のひとつ果物すなわちみかんを2つ食べ、塩と水もきちんと取った 

本当は朝食抜きは言語道断だけど 会う時間が早いので果物で調整してみた

 

茶店で何を頼むのも大きな課題になる 珈琲を頼みたいところ、レモンスカッシュにしてガムシロップは入れずに飲んだ モーニングに付いてくるトーストを本当に久しぶりに食べた こんがり焼けていてバターが塗ってあり おまけにあんこも付いてきた さすがパンは魅力的な食べ物だ メロメロになってしまう

そう、パンは美味しい、私の好物だった メロンパンならいくらでも食べることができた 

小麦は身体に悪いとは漠然と聞いていたが いったい何がどう悪いのか全く知らなかったし みんなも普通に食べていたので大丈夫と誘惑に負けて食べていた

だって美味しかったから、、、

しかし小麦のグルテンはなんて厄介な代物なのか コイツは満腹中枢ではなく快楽中枢を刺激してしまう だから脳からもっと欲しくなる様に司令されてしまうのだ

さらにコイツは腸でも悪さをしてしまう厄介者なのだ 

腸の壁にイタズラして本来入ってはいけない物を通してしまうので「腸もれ症候群、リーキーガット」になってしまうのだ

 

私も腸の調子はすこぶる悪かった きっと腸もだけど胃の消化力も壊滅的な状態に陥っていたに違いない

今はだいぶ回復してきてるのを実感できているので友達に会う時に限って食べる様にしている 

 

小麦は麻薬みたいに中毒性が強くなかなかやめれないと聞く 

小麦で作ったパンやお菓子なんかは食べれべば快楽中枢を刺激し脳はもっと食べよと要求してくる 

そして腸にダメージをあたえる この繰り返しだ いいことなんて一つもない 

なのに快楽を求めて食べてしまうのだ

 

この私も当たり前の様にかなり苦戦した もちろん全ての小麦を排除はできない カレーのルーにも醤油にも入っている だから大きいもの、例えばパンとか麺とかお菓子をやめるのが良い 

私は何が駄目なのか理解出来たり納得できれば比較的キッパリやめれるタイプだが 付き合いとかは断る事もが出来ないタイプの人間でもある これがいけない タバコも酒もそうらしいがそのちょっとでまた逆戻りになる 欲しくなってしまうのだ

少しずつやめていくといつの間にかお腹の張りを気にする事がなくなってた ほんと知らない間に、、、

以前は 時々無性にホットケーキが食べたくなってしまうことがあった そんな時は家で米粉で焼いたなんちゃってホットケーキを質の良い蜂蜜をたっぷりかけて食べいた 悪いものを食べるので一緒に良いものを食べれば帳消しにならないか、なんて考えて食べていた

さすが質の良い蜂蜜だと暴走した食欲を抑えてくれると同時に満足も与えてくれた、幸せな気分も、、、

こんな事を繰り返しているうちにお菓子さえも求めなくなっていた

もちろん 身体がすぐ反応する様になって 食べればもれなく腹痛とお腹の張りの悪魔のプレゼントがついてくるのでそんな思いまでして食べる必要もなく 次第に欲しいとか食べたいとかの欲求も感じなくなっていった 甘い物を食べたければ果物や蜂蜜で十分だと思う様になっていったのだ 身体は正直だと思う

 

楽しいお喋りタイムも終わって帰宅し 水と塩を取り みかんを食べ蜂蜜をお湯で割って飲んだ

夕飯は白米とキノコ入り味噌汁とホッケをゆっくり味わって食べた

 

この様に身体に悪い食べ物を食べるとはじめから分かっているなら 行く前と家に帰ってから補う様にしている

明日は遠隔アドバイスの日なので これで良いのか聞いてみようと思う

 

 

第17回

今朝は早朝から涙雨だ

なんでなってしまったのだろう、、、

なんで科学物質過敏性なんかに、、、

こんな事を昨晩痛感させられた 分かってはいた事だけど この病気は人が集まる所には行けない

テーマパーク、ショッピングモール、コンサート、講習会、、、

学校の参観や結婚式そして通夜、お葬式も、、、

暇な時間に空想はして悲劇のヒロインにでもなったみたいに悲しんでいたけど まさかこんなに早く現実が訪れるなんて思いもよらなかった

結婚式なら後でお祝いもできるだろう なんとか会うことはできるはずだ

なのに 人が亡くなってしまったら会う事も出来ない ちゃんとお別れできないのだ

 

昨晩、仲良くしてくれてた方が亡くなったと訃報が来た 通夜は今日でお葬式は明日 

娘も大変お世話なっていた方だ 

この病気で行けなくなった体育館の送迎も私の代わりにしてくれた ただの知人の娘なのに 「私には借りがある」なんて言って娘のワガママを聞いてくれいた 

「雨が降っているから」とか、「雷が怖いから」とか、「今日は寒いから」とか と理由をつけて迎えにきてもらっていた 

いつも遠回りになるのに 同じ趣味だからと嫌な顔もせずに迎えにきてくれてた

最近出来た娘の彼氏の事も「お父さんは認めていないぞ」なんて言ってからかっていた

私も沢山バドミントンのアドバイスをしてもらってた 分かりやすく楽しかった

私のチームにも来てくれて いつもムードメーカーで盛り上げてくれた 

あの人を悪く言う人はいないと思う 

良い人は早く亡くなると言うが本当なんだと痛感させられた

 

こんなにお世話になったのに 通夜にもお葬式にも行けやしない 

人の洗剤の臭いも線香の臭いも消毒の臭いも全て駄目だ

彼の親しい人が「彼は私の病気の事も分かっていたから 無理して来なくてもちゃんと分かっているから 気持ちだから」と声を掛けてくれた

なんて私はポンコツなんだろう 人としての行いさえも出来ない人間になってしまったのか

ストレスで身体もダルいし、肝臓も痛い こんな時は糖質を取ると良い 昨日届いたみかんを沢山食べた

 

今だったら彼にも栄養面でアドバイス出来るのに、、、聞かないとは思うけど、、、

 

彼は独身で喫煙者、肉体労働者でプラススポーツもしてて 私と同じでたぶんやり過ぎだったと思う 

スイーツ男子とか言って厳つい感じとは違い いつも嬉しそうに甘い物を食べていた 

昔の友達も大切にしてて 焼肉だ、ラーメンだと同級生の店に集まったと楽しくお話してくれた 

そういえば結局一緒に焼肉行けなかったな なんて思い出される

あと人当たりも柔らかくトラブル起こすような人では無かった たぶんスッゴク気を使って過ごしてたと想像できる

二人で話した時 冗談交じりで「身をすり減らしてトラブル回避してる」なんて言ってた

活性酸素、ストレス、血液ドロドロ、副腎疲労、、、

想像することはいくらでもある 予防も、、、

 

でも私がいくら話してもみんな 私の様にレアでは無いと言う

違う、それは違う 声を大にして言いたい

私は究極まで行った人間だけど みんなその過程に足を突っ込んでいるんだと

私だって最近まで酷いとは認めて無かった 認めたく無かった でも認めて原因を見つけて根本的な治療をしないといけないと頭の芯で分かった そんな感じだ

みんな大なり小なりなにかを抱えている 少しでもいい 耳を傾けて欲しい

まだ病気が完治してない私だけど 今はこれぐらいしかできないから

 

通夜、お葬式行けなくてごめんなさい 会いたかったな 今までありがとう

ご冥福を心よりお祈りします ありがとう